親父が死んで鬱病になった話。

暗い話です。苦手な人は飛ばしてください。
自分の中でこの期間の気持ちの揺らぎを書き留めておきたかった。

親父が死んだ

昨年2025年11月末に親父が急死した。
死因ははっきりとは分からないけど、おそらく心筋梗塞とかそういう系だろうと。


普段は全く連絡を取らない兄からいきなり電話がくる。

もう夜に近かったのを覚えている。
まあ良く無いことだろうなとそこで察しはした。

職場から帰ってる電車の中だったので一旦取れず。
途中下車してかけ直す。

「お父さんが病院に運ばれたらしい。俺も今から詳しいこと聞きにいくからまた電話する。」

あとで知ったけど、この時には既に亡くなってたみたい。
兄が病院に着いてないのは本当だったので、兄も多分この段階では信じたくなかったんだろう。

電話が再度かかってくるまでの間の記憶はあまり無い。
どうやって過ごしてたとか覚えてない。

しばらくして、また電話がかかってくる。

「お父さん亡くなったよ。」

 

親父は家族の中で唯一の聖人だった。
死んだから昇華しているとかでなく、本当にそうだった。
自分の芯があり、とはいえ頑固親父なわけではなく柔軟な意見を持ち、家族に寄り添いながらも自らの楽しみも持ちつつ。
私が本音で相談できる人は片手で数えられるほどしかいないが、その中の1人が親父でもあった。
実家に帰れば仕事の話から女性の話まで、何でも話せるしお互いに共感できる会話が弾む、そんな人だった。

実家に住む家族の中では、いわゆる大黒柱であった。心身ともに。
母も祖母も果ては周囲の人でさえ、親父に頼っていた。
側から見れば、ど田舎のただのおじさんである。どこかの会社の役員だったわけでもない。
だが葬儀には200人以上が集まり、残念ながら日取り合わず、その後個人的に手を合わせにきてくれた人たちも合わせると300人近くが弔いにきてくれた。
そのくらい、偉大な人だった。

 

その親父が死んだ。

 

兄の電話は「また詳しいことは連絡する」などその後に続いた気もするがよく分からないうちに切っていた(気がする)。

意識が遠くなる。
呆然という言葉で足りないくらい目の前で見えている光景と自分の意識が離れていく。
宙に浮いたような気持ち。

今のこの気持ちを忘れてはならないと思った。
気づいたらその場の写真を撮っていた。
この写真を見返すことでこの時の気持ちを一生忘れないようにしようと。
なぜかその時はそう思った。

 

享年63歳。早すぎる。
うちの家系の男性は早死にしている傾向にある。祖父も60代だったらしい。
生前、親父は自虐ネタとしてよくその話をしていた。
「俺も早く死ぬんだろうな〜!」と笑いながら。
もう笑えないです。

 

葬儀

葬儀は淡々と終わった。
その事実に人間の社会性というものはすごいなと感じた。
私はいつ暴れてもおかしくないような心境だったが、奥さんが近くで見守ってくれていたおかげで理性を保てていた。
何にも囚われないのであれば、まるで欲しいものを買ってもらえない子供のように嫌だ嫌だと駄々をこねていたいくらいだった。

1番感情にきたのは、駆けつけて死んだ親父の顔を見た瞬間。
勝手に現実逃避していた頭の中に、強制的に現実が流れ込む。
最後にそんなに泣いたのはいつだったか分からないくらい、嗚咽混じりにとにかく泣いた。止まらなかった。

そして印象に残っているのは、火葬を行う際に点火するボタンを家族が押すこと。
「そんな残酷なことを家族にさせるのか」と、正直思った。
母は取り乱し、私は押せない、と。そりゃそうだ。
代わりに兄が押そうとしていた。が、何か兄だけに罪を被せるような気になってしまい、一緒に押させて欲しいと、私も一緒に押した。

火葬後、骨だけになった親父を見たとき母はまた取り乱していたが、私はそこまでになった状態に対しては特に大きな感情も無かった。
ただ、兄が、これまで見たことのない形相をしていたことだけは覚えている。

残った家族は

死にたい、が母の口癖になった。
母と祖母の関係ははっきりいって悪い。いわゆる嫁姑問題である。
母は義母と2人で過ごしたくない、祖母も嫁と2人で過ごしたくない。

私も兄も、(親父が亡くなった今なぜ家族で手を取り合って助け合っていこうと思えない?)、そういった想いであったが…
30年以上折り合いがついてない関係である。
私たちには分からないレベルの関係にまで既に至っているのであろう。

万が一の行動をされては困るため、私も兄も実家に残り、四十九日が終えるまでは生活を共にした。
が、その2ヶ月は2人の関係に振り回されつづけ私も兄も疲れてしまった。
親と子の関係は、子供が大人になってからは、子育て時代のそれと同じものではない。
それぞれの生活価値基準が出来たあと、その基準がぶつかりあうのは非常にストレスを発生させると実感した。
状況が状況なだけに、そのストレスはより加速した。

結果的に誰からともなくでもなく(仕事的な事情ももちろんあったが)、家族はまたそれぞれの自分たちがいるべきところに戻り解散することを選択した。
悲しいことに「解放された」という感覚になったのは紛れも無い事実である。
おそらく、私だけでは無かったのでは無いかと思っている。

そうして、親父が存在することで成り立っていた家族は崩れてしまった。

 

そして残念ながらこの問題は現在も継続中であり、いまだ結末は分からない。
時間が解決してくれるのか、それとも…。

 

うつ病になる

実家から戻ってからしばらくは普通に働けていた。(と思う)
ただ2ヶ月経ったあたりから、なんだか非常に働きづらいと感じるようになった。
仕事に対する記憶が曖昧になりはじめた。
さっきの会議の内容が思い出せない、何を話したか分からない。
ちゃんと顧客に説明できてるのか?
部下に聞くも「普通でしたよ〜」と言われる。

そんなある日、会議に同席していた同僚から指摘を喰らう。
指摘された内容があまりにも、あまりにも稚拙すぎる。新卒か?お前は。
自分がそんなことを伝え間違えたのか?本当に…?

そう悩んでるとその悩みからくる緊張か、とうとう会議中に発言が出来なくなってしまった。
まるで吃音症かのように言葉が出ない、出ても紡げない。
ちゃんと話せたと思っても話の前後が繋がらないのだ。

仕事が怖くなってしまった。出勤しなくなってしまった。
(出来なくなったではなく、しなくなったの方が合っている)

2週間ほど休んでいると、さすがに会社も動かざるを得ない。
上司から連絡があり「何かわからんがこれ以上はまずいから休職の手続きを取った方が良い」と。
この時、本当に何をどうこうしたら良いかわからない、判断力も全く無い状態だったので、会社的な指示だとしても提案してくれたことには非常に感謝したい。
意思がなくとも指示があれば人は動けるのだと実感した。

休職には当たり前だが病状の説明が必要らしい。
精神科を受診した。「抑うつ状態」とのことだった。

今思えばバカみたいだが、上記のような症状と合わせて、全く眠れない、自宅に帰れない、吐くまで食べてしまうレベルの過食、といった状態であった。
にもかかわらず認めたくないのか、自覚しようとしていなかった。
診断を受けて、また凹んだ。鬱って底無いんすね。

休職してからは色々あった。
離人症とまではいかないけれど、今の自分では理解できない行動ばかり。
家に帰れなくてネカフェで3~4日くらい食事とトイレ以外眠り続けるのを何度もやったり(しかも家の近くまで帰ってくるのに家に入らない)、
過食は治らずとにかくお菓子やパンを食べまくって寝ているうちに気持ち悪くなって起きて吐く、
自分に価値がないと反芻し、消える方法を模索する、果てには実行に移そうとする…。
など詳細は省くが、まあ色々あった。
人間、追い込まれると何でもやるとは言うけれど、それって逆の意味でもそのようで。


薬も飲み始めるがうつの薬というのはすぐに効くものではないらしい。
これがまたしんどかった、慣れるまで吐き気が止まらず眠れない。
むしろ飲まない方が良いまであるんじゃないの?と何度も思った。
2ヶ月経ったくらいでそれはだいぶ和らいだと思う。
ただ、結果的に効いてるのかは分からん。今もわからん。
飲み続けて、何とかなってるってことは効いてるのかな。
今の心が、ちゃんと自分の力によって支えられているのか、はたまた薬によってブーストされているのか。
これもまた悩みになる。難儀な病気だなって思う。

奥さんの名誉のために記すが、奥さんは本当に献身的に尽くしてくれた。
帰宅しないことに対しても心配はしてくれるも一切咎めてこなかったし、家にいてもずっと寝てばかりいる私に何か言うこともなかった。
唯一言われるとすれば、薬をちゃんと飲んだかくらい。
本当に感謝しかない。

うちの奥さんで無ければ、もうこの世にいなかったのではないかというほど。

あと、おんすけとわらびも。
ずっと癒してくれた。必要としてくれていた。ありがとう。

 

復職する

3月中旬から休職に入り、7月に差し掛かる頃、復職を申し出た。
結果、4ヶ月弱の休職だった。

産業医からは少し早いんじゃないかとも言われたが、この頃には違う悩みと焦りが出てきていてそちらの方を何とかしたかった。
それは社会性の衰退と金銭的な不安である。
このままもう一生働けないのではないか、人間社会の中で弱者として生きていくしかないのでないか。
そう思うと、自らが思い描いている人間像や未来像から、第一者である自分自身がどんどんかけ離れていく。
それは非常に恐ろしく、誰からも期待されていない某人になってしまうという恐怖がそこにはあった。
言い換えると、自らを最後の最後で支える小さなプライドは残っていたってことなのだろう。

金銭的な不安は、生活ができないわけではないが、お金が消えていく一方というのはやはり、強い焦燥感を感じさせ、結果的に今の自分の現状を憂うループとなっていた。
「貧すれば鈍するという」言葉がある。その通りである。

これらを解決するには働くことだった。
働けるかは分からん、でも働くしかない、そういう感じで復職した。

ただ今思えば、マズローの5大欲求的に表すと、そう思った時には既に安全と安定の欲求が満たされている状態にいたんだろうと思う。
そこが失われていて(失われていると感じていて)、休職することで改めて獲得できたのではないだろうか。
方法は分からん。
覚えていないだけで何かが作用したのかも知れないし、時という便利な薬が解決してくれたのかも知れない。
ただ、何にせよ、次の段階である所属の欲求の獲得へ、復職することに踏み出せたのだと思う。

 

そして今

復職して3ヶ月ほど経った。
会社側も考慮してくれて部署も変わった。
周りの人に支えられ、今は何とか働けています。

 

終わり

そんな感じで、親父が死んでから鬱病になったよって話でした。

実はこの記事は、親父が死んだことを自分がその時どう思ったかを書き記しておこうという気持ちがきっかけで3月ごろには書き始めていたのですが、
うまくまとまらず、鬱になり、ちょっとずつちょっとずつ書いて今に至ります。
結局親父が死んで1年くらいかかってしまった。もう1周忌くるよ。

でも何とかまとめたいなと思ってはいたので書ききれて良かった。
公開する意義というのはあまり無いけれども、誰かに話を聞いて欲しいといった気持ちに近い何かです。

そして自分も、この時どういう気持ちだったのかなと、いつか読み返すための記事でした。